当院について
病院理念
共生、そして共存
わたしたちは「人に優しい医療」をこころの指標にしています。
今、多くのひとが抱えている問題はコミュニケーションのこと。
共生できる社会、そして共存できる社会。
そこに必要なものはこころのケア。
ひとがゆったりと共に生きる、そして共に在る。
私たちはそんな医療を目指します。

沿革
- 1946(昭和 21)年 3 月初代院長の飯沼昌夫が、戦後間もない昭和 21 年に飯沼病院を開設。肺結核をはじめとする各種の感染症が広く蔓延していた状況のなか、結核の専門病院として地域医療を支えた。
- 1967(昭和 42)年~抗結核材の発見によって肺結核患者が減少するに伴い、時代の要請に応じて結核専門の病院から内科、精神科の病院へと転換。
- 1979(昭和 54)年 9 月 8 日板橋区常盤台にて本館新築落成。
- 2009(平成 21)年世の中に増え始めたアルコール依存症やうつ病など心の病に対応するべく、地域の精神科医療の拠点となり、飯沼久美子が院長に就任。
- 2024(令和 6)年 3 月創立 78 周年を迎える。




創立者 飯沼昌夫の遺志を引き継いで福井県に生まれ育った父・飯沼昌夫は、東京医科歯科大学(現・東京科学大学)を卒業後、上板橋に歯科医院を開業しました。そして、多くの方々の治療を行う一方、医学部と法学部に学び、疲労困憊しながらも卒業しました。父と母が出会ったのもこの頃で、結婚後、母は父の大切なパートナーとして、父の医療活動にも力を注ぎました。
医師として順風満帆に思われた父でしたが、第二次世界大戦の戦火は大きな悲劇をもたらしました。疎開先で空襲にあい、父は医師として注射 1 本を打つこともできず、長男と次男を失ったのです。この時の無念さが、父の医療に対する熱意をさらに高めました。リュックひとつで焼け野原の東京に戻った父は、「世の人々、特に 1 人でも多くの子どもたちを救いたい」という熱い思いを胸に、母と二人三脚でこの常盤台に病院を開設しました。そして日本が戦後の復興を遂げてからは、新たに精神神経医学を学び、飯沼病院を内科および精神科の専門病院として発展させていったのです。
医療機関として社会に貢献奉仕する仕事を引き継いだ私たちは、父が遺したメッセージを心に刻み、その責務の重大さを感じながら、あゆみを進めています。今後ともなお一層のご指導、ご支援を賜りたく、よろしくお願い申し上げます。
飯沼 久美子

飯沼病院創立者 飯沼 昌夫